『あなのかなたに』

12/5(日)開催の関西上映先行イベント“shellsong~耳よ、貝のように歌え”の
スペシャルゲストのひとり、湯浅学さんの小説『あなのかなたに』(扶桑社)を少し紹介させていただきます。
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『あなのかなたに』は扶桑社の雑誌「en-taxi」に掲載された原稿を元に、2009年に刊行されました。帯に「80年代を音楽とともに駆け抜けた自伝的音楽小説」とあるように、ある視点から見つめた自身の姿(猫田正夫)と特定の時間(1980年代)とが克明に描かれています。
膨大な量の音楽家とレコードの名前が載っていますが、僕には音楽小説とは思えませんでした。仮に80年代の音楽を全く知らない人が読んでも、全く問題にはならないでしょう。むしろそういった人のほうが、この小説の一見闇鍋的な文体のなかに紡がれる声をしっかりと聴くことができるかもしれません。それは正夫が恋した女の声です。名前も付けられていない「あの女」の声はすべて正夫の回想のなかで、そのほとんどが受話器の向こう側から聴こえる声として、具体的な音楽とともに蘇ってくるのです。
一節、引用させていただきます。
「そうかLPあの女に貸したまんまだ」ほかには猫しかいない部屋で正夫は大きな声でそういった。あんたは聴いたんだからもういいでしょ。このジャケット最高よね。このバンドやっている人大竹シンローっていうんだって。先に聴かせてやったんだから、よかったでしょ、喜びなさいよ。
「あの女」の声はいつも一方的で、身勝手で、ささくれだっている。なのに正夫がいつまでも「あの女」を忘れることが出来ないのはどうしてなのか。それは最後に「あの女」が正夫にいった言葉が優しすぎたのかもしれません。
ひとが持つ「あな」のなかで唯一伸縮も閉じることのできない器官を通ったものは何処へゆくのか、そんなことに思いを馳せさせる一冊です。
井川 拓