月別アーカイブ: 2010年7月

感想その3

人形作家、井桁裕子さんより、レビューをいただきましたのでご紹介させて頂きます鍊
井桁さんのサイトはこちら
レビュー:
あえて、原作は読まずに観に行きました。
「誘惑として、」「他界」「ハシッシ・ギャング」の三作です。
「誘惑として、」。
二人の男が向かい合っている。
一人は小説家。そして彼にむかって、自分も書きたいことがある….と語るもう一人の男。
過去にたくわえた強い思いは薄れるどころか、今もなお細部にわたるまで思い起こされる。
それは極限状態での幻覚と愛情、あるいは束の間の激しい情事。
映像の中の彼らの「記憶」は、ひどく鮮やかで、熱い空気と汗のにおいがする。
男とはこのようにその後の人生をずっと貫くようにして過去を背負うものなのだろうか。
それがいかにも「男の記憶のありかた」らしく思えて、生々しく感じられた。
恋人や友達として身近に出会う男達は皆、時々なんとなく黙って、何か思っている様子の顔をする。
そんな姿は、近くにいる人ほどなおさら遠い感じがする。
その遠さはそのまま、彼の追い続ける自分の記憶との距離なのかもしれない。
寡黙な男であれば、その思考の中でも記憶を言葉に置き換えたりできず、ただどっしりとまるごと負っているに違いない。
男の体力はそうやって過去を背負い続けるために必要なものとして備わっているんじゃないのか、などと、この映画を観ながら思った。
小説家だけでなく、こんな映像を作る人も、きっとまるごとの何かを隠し持っているのだろう。
3本、違う映画なのだけど、それぞれに良かったです。
「他界」戦争の記憶を語る老人が失踪し、捜索する人達のそれぞれの思い。妙に乾いた、謎めいた空気を感じた。
「ハシッシ・ギャング」手も握らずに別れた女の声の幻聴を聞く男。墓場に集う、幻聴愛好者たち。不気味でありながらなぜか心地よい。
あの幻の描き方や音楽の意味不明さなど、別世界すぎて逆にリアルな気がしました。
原作を読んでいたら、また違う見方になったかもしれません。
もう一度観て味わいたい映画だと思いました。
井桁裕子

井上弘久さん舞台あいさつのお知らせ

◎◎◎ 与那覇監督よりお知らせです~ ◎◎◎
井上弘久さん
映画「デルタ 小川国夫原作オムニバス」上映が本日でちょうど一週間。
本日は、「誘惑として、」に出演のベテラン俳優、井上弘久さんが
舞台挨拶で来場します。
井上さんは元転形劇場の俳優さんで、現在は劇団Uフィールドを率いて
2年がかりになる、太田省吾をテーマにした舞台表現に挑んでいる。
生粋の舞台俳優であり、表現者であり続けようとする井上さんの
生き方は、自分のやっていることを信じ続けているという点で本当に
尊敬に値するものと感じます。
飴屋法水さん演ずる主人公の作家・岩原に対しその読者である老人
を演ずる井上弘久さん。
難解な会話と動きのない喫茶店の対話場面をお二人のつくる、
シナリオや書かれたこと以上の何かが見えてくる、濃密な空間を
多くの人に見届けてほしいと切に願います。
「そういうくせとかただ年齢のことをを言ってるんじゃないですよ、
あなたの今まで生きてきた、その生き方のことを言ってるんです。」
「誘惑として、」より

感想その2

ミュージシャンの浅野ヒロノブさんより、感想いただきましたので、ご紹介させて頂きます烈
3a出口を上がり 渋谷の夜の道へ、。 東急本店を横に直進、。
UPLINKファクトリーに到着!
目的は 「デルタ 小川国夫 原作オムニバス」を拝見しに来たのだ
この作品はね、。 私見ながら ムチャクチャ好みでありました、。
俺は 物事を判断する時に 少年時代から
これは 「ブリング イット オール・バック ホーム」か?
そうでないか? と 察知したり 感じたりする、。再考したりする、。 「」内は 言うまでも無いが ディランのアルバム名、。
俺は 上記の作品を最前列で見詰めながら 
ああ、。 この感じ、。 いまの台詞・言葉、。 この場面、。
全部 家に 部屋に 持って帰ろう と 丁寧に胸にしまい込んだ、。
勿論、。「鵺院」土肥さん の 登場には ハジケた!
観る前から 土肥さん は どの様に 演ずるのだろう
どの様に 現れるのであろう と 想いは 巡らせていたが、。
あっ! なんだ? 今の脚組みかえる場面? 一瞬だ、。
小川国夫氏を意識したのは 中学生の時だったろうか?
当時、角川出版? 書店? から 「バラエティー」という
ショービズ・カルチャー雑誌の日本版が出されていて
その中、のコラムで パゾリーニ監督「アポロンの地獄」と
ディランを聴いた時の 残される 刷り込まれる
違和感と 感動の様な 1文があって
この場でも 幾度と書いているが、。
後々まで 深く関わって行く 作品にしろ 人物にしろ 実際の、。
と いう人々 者達 モノ達は  
多く 初見 初対面で 何か 毒がまわる様に 
強烈なインパクトが 印象が 刺さるのだ、。
ディラン や ジャックス を 初めて聴いた時の様に、。
つげ義春 を 宮西計三 を 初めて読んだ時の様に、。
あいつ や あの人 と 初めて会った時の様に、。
そう、。 文芸坐か佳作座に観に行った パゾリーニの
「アポロンの地獄」と 書店の本棚で見掛けた
小川国夫氏の「アポロンの島」を 何かしらの共通性を
又は、勘違いをして 手に取り 読んだのだ、。
少年の俺には 何かしらの 毒を盛られたのだ、。

初上映のときのこと

この映画、実は昨年の秋に、静岡県藤枝市で行われた“志太お茶の香演劇祭2009~小川国夫氏追悼公演”で初上映されました。
この演劇祭は、地域の知的財産をテーマに、複数団体が、演劇やパフォーマンスを競演するという催し。
第一回目は「お茶」がテーマ、第2回目は、焼津にゆかりのあった「小泉八雲」、そして昨年秋は第三回目で、テーマは「小川国夫文学」なのでした。
初上映の時は、なんとタイトルは「小川国夫映画館~藤枝のジャンギャバン」烈
これは昔、小川氏が、独特のユーモアで、自分でおっしゃっていたのか、他人から言われたのか定かではないですが、「藤枝のジャンギャバン」と言われていたところから引用。
他にも「○○の○○」という、例えた言い方はあったようです。
小川氏は、ルイジューベなどが出ているフランス・パリの映画がお好きだったように記憶しています。
「昔の映画は白黒だけど、その黒や白が何色か、わかるように工夫されている」というようなことをおっしゃっていたような。
たしかに。
白黒、という制約の中での技術、花の色、服の色、顔色、建物の色、それがどんな質感でどんな色なのか、今でこそ、狙いなども含め当たり前の情報として画面で色を認識してますし、白黒も色として認識してますが・・・、そういえばそうだった、、
より選択肢の広がった今は、ほんとに色んなことが可能になりましたネ、しみじみ。
蛇口をひねれば水が出る生活。
・・・脱線したところで話を戻すと、初上映のときとは、タイトルが変わり、上映順が変わり、エンディングに音楽が入ったり、編集が少し変わったり、と、今回のロードショーでは、映画としてより整えております。どうぞお楽しみに!
“志太お茶の香演劇祭2009のチラシ”
20090914_624651.jpg

7月27日の予定

今日の15時からの上映後の舞台挨拶には、「誘惑として、」に出演の鈴木宏侑さんが登場します。若い兵士役で独特の存在感を醸し出しています。
鈴木さんが映画を見た友人たちに「声が聞えない」と言われたという話を聞きました。(聞えてますよ、ちゃんと)
が、よく考えたら一言しか喋ってない!
でも、それに気づくのに、私は半年以上かかりました。しかも「誘惑として、」監督の与那覇さんに言われて。
しかしなぜ、ここまでその事実に気がつかなかったのか・・・
答えは、「誘惑として、」の映画の“つくり”にありました玲
具体的にどういうことかは、映画が終わった頃にひっそりここに書き足しておこう・・・
そして鈴木さん挨拶と共に、小川国夫さんの資料映像を流します。
これは、藤枝市文学館で所蔵されているものをお借りし、抜粋したもので、小川氏の声、姿に触れることができます。
19時の回は、「ハシッシ・ギャング」監督の小沢和史さんも挨拶。
そして小川氏の映像も流します。
東京は昨日の雨のおかげで若干暑さがやわらいだような・・・
とはいえ、まだまだ暑いです
気をつけておでかけください。
今日も小さなカオススペース・アップリンクXでお待ちしております

感想その1

ご鑑賞いただいたお客さまよりご感想いただきました。“小川国夫”を通じて知り合った友人です。裂こういうときはネタバレ注意と言った方がいいのだろか怜
小川文学と映画の関係、下記感想を書いてくれたかいさんの視点が面白かったのでご紹介させて頂きます裂
感想:
特に惹きつけられたのは、『マグレブ』と『駅の明り』です。
『マグレブ』は、原作も思い入れが深い作品ですが、
主人公岩原の雰囲気が、小川さんが出演しているみたいに楽しめました。
岩原を演じていた役者さんは、小川さんによく似ていますね。
岩原=小川さんと思って読んでいた頃もあります。
軍隊の幻聴を聴き合うシーンは、映像で初めて見たので、鮮明に記憶に残りました。
次の物語(どの作品か、記憶が曖昧ですが)を手にしている岩原のシーンがとても好きです。
『駅の明り』は、原作を読んだ時、「浩の不良!」とよく突っ込みを入れて読んでいました。
原作では、抱いた後は「彼女の体に惹かれてもいない」なんて、
男としてはひどい・・・と思ったことがあります。
卒論で「小川文学は不良」と書いて、学生の頃、ゼミの先生に呆れられたことがあります。
でも、映画のラストでは、その反対に、浩が蘭子を大切にしているように見えて、
二人の結びつきや、自転車に一緒に乗るシーンが素敵でした。
正反対の捉え方ができて、とても参考になりました。
浩と蘭子が結ばれるシーンが、映像で見ると、私にとっては刺激が強く、
(一応、私が未婚ということもあり・・・)
その後の作品を見るのに、ちょっと放心状態になってしまいました。
でも、とても楽しかったです。
『他界』と『ハシッシ』は、少し「観るのに長い」という印象を受けました。
(私が映画を見慣れていないせいもありますが・・・)
原作の妖しい雰囲気や、不思議な雰囲気は、観ていて面白かったです。
窓の外に汽車が通っているシーンや、夜景の中の街の明かりの中の不気味な幻聴のシーンは、とても迫力がありました。
『ハシッシ』のラストで、
(「あの女がこの世にいる限り、貴様もいることができるってことか」「そうだよ」)というのを、
私は、「究極の愛」と分析したことがありますが、人によって、様々な解釈がありますね。
来月、私は誕生日を迎えるので、
素敵な誕生日プレゼントをいただいたみたいに楽しい時間を過ごしました。
かい

この映画の成り立ち

本作「デルタ 小川国夫原作オムニバス」の成り立ちについて、まずはじめに少し。
1、静岡県藤枝市は原作者・小川国夫氏の郷土であり創作の場である
2、同じ郷土で舞台演出家の仲田恭子が小川作品を原作に舞台公演を行っていた
3、3人の映像作家と仲田が出会う
4、3人の映像作家は、偶然にもそれぞれ小川国夫作品の映像化に関心を持っていた
5、昨年秋に藤枝市で志太お茶の香演劇祭(藤枝界隈で行われる地域の知的財産をテーマとした演劇祭)が行われる。テーマは「小川国夫作品」として、小川国夫氏追悼公演と銘打たれ、開催される
6、演劇祭に併せて、本作が作られることとなる
7、東京での上映、アップリンクでのロードショーが決定、今に至る

はじまりました、ロードショー!

7/24(土)、ついに映画「デルタ 小川国夫原作オムニバス」のロードショーはじまりました。
このブログでは、スタッフ日記や、各監督の話など、載せて行けたらなーと思っております。
お気楽におつきあいください!

藤枝のこと

小川国夫氏の郷土は、静岡県藤枝市。
この藤枝というところは、「気候が温暖で、人々も割合常識的で、マイナス点が少ない」というようなことを、小川氏が何かのインタビューでお話しされてたように記憶します。
小川さんは、30代の頃、郷土藤枝を創作の場として選び、そこで生涯創作を続けられました。
「藤枝がいいとこでも悪いとこでもなんでもいい、ここにいれば僕は書ける」というようなことも仰っていたように記憶します。
私も藤枝出身。
気候が温暖、とは言え、夏は非常に暑いのなんの。
夏バテ気味にじっとりした畳の上にうつ伏せに倒れ、扇風機を回していた子供時代。
土曜に学校が半日で終わり帰宅すると、昼食はだいたい冷や麦(ソーメン)で、がっかりしてた、あのガラスの器・・・
みなさんも幼少期の夏の思い出は郷里の風土と相俟っていることでしょうね。しみじみ。
そして今年は小川作品「悲しみの港」にも出てくる、四年に一度の大祭(おおまつり)の年です。これについてはまた。