ドイツへ

ドイツのハンブルグで上映します
5月26日からJFFH(JAPAN FILMFEST HAMBURG)が開催します。
今年もハンブルク日本映画祭が5月26日から30日まで開催されます。
日本からの珠玉の映画を取り揃えて、皆様のご来場をお待ちしております! (JFFHサイトより)
下記ページをご覧ください
http://www.jffh.de/category/noh/

朗読イベント其の三「ナフプリオン」

12月26日は映画上映後に、劇団舞台処女(げきだんまちかどおとめ)の皆様に、朗読を行って頂きました。
朗読の題目は、小川国夫の処女作『アポロンの島』に収録された「ナフプリオン」という作品です。
朗読というと、通常ひとりで淡々と行われるものですが、劇団舞台処女の朗読は飛び道具が炸裂しました。
演出家の断寝俊太郎さんが滑らかに読み進まれるなか、事件は起こりました。断寝さんの横で、構えていたうら若き乙女がいきなり「フン!フン!フン!」と鼻息荒く叫びだしたのです!暴力的ともさえいえるその唸りは、蛸を叩きつける漁師の息遣いをあらわしていました。
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「ナフプリオン」は蛸のお話しです。お話しというよりも、旅先のギリシャの港町で陸に上げられた蛸と出会うという出来事が綴られた旅行記というほうが正確でしょう。旅行記ではあるが、ここでは移動ではなく、停泊が描かれています。旅行者が足を止めたときの“あしぶみ”が聴こえてくる一篇といえるかもしれません。
原作者は旅路を振り返り、慈しむような筆致で、「ナフプリオン」という街を描きます。固有名詞を多用しつつ、旅先での言葉を日本語という別の言語に置き換える作業を原作者は慎重に進めています。
件の「フン!フン!フン!」という鼻息は、原作のなかにはありません。だけれども、原作者が立った固有の風景のなかに舞い戻ってみたならば、あの野性的な息遣いがあったかもしれない。そんなふうに思わずにはいられない大胆な試みでした。
今回の朗読イベントでは、三者三様のアプローチで作品に取り組まれましたが、ひとつ共通していたのが、朗読という行為を通じて、完成された作品をもういちど「いきなおす」という過程が垣間見られたことでした。本当はだれしも作品を読むことで、作品の世界に「いきる」ことができるのだと思います。でなければ、物語はこの世に必要ないはずです。けれども、作品の世界に没入することが出来ず、引き摺っている現実に作品世界を滲ませてしまうということもままあります。作品との出会いはどこにあるのか。本を閉じてそんな思いに駆られることも少なくありません。今回の朗読イベントで小さいながらも風穴をあけることができました。
朗読を通じて、書き言葉が書き留められる際に捨象されたざわめきが呼び覚まされるとき、声は風を思い出させるのかもしれません。このように思えたのも、映画館という薄暗い空間のなかで、朗読がなされたのも大きな要因となっていると思えます。
2011年を迎え、シネ・ヌーヴォでの上映も残すところあと四日となりました。
ぜひ皆さん、劇場にご足労下さい!

井川 拓

『弱い神』をめぐって

小川国夫に関する2010年最大のニュースは映画『デルタ』の公開でした!
…と、言いたいところですが、それより『弱い神』(講談社)の刊行でしょう。
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『弱い神』は、明治~昭和を生きたある家族とその周辺を描いた長篇ですが、
その最大の特徴は、この小説が、複数の人の《声》によって成り立っていることです。
小説には「人称」というものがあって、「私が」「ぼくが」といった一人称、
「彼が」「彼女が」「誰それが」といった三人称、そして「あなたが」「君が」といった
二人称など、いろいろな「人称」がありますが、『弱い神』はもっと複雑です。
いや、基本的には一人称で、いたってシンプルなのですが、語り手と聞き手が複雑に入り乱れて、
「複数の一人称」による多彩な《声》によって、物語が炙り出されているようです。
何という世界でしょうか。小川国夫さんは音楽を意識していたかもしれません。
たくさんの人によって奏でられる声のポリフォニーを聴いているようです。
『弱い神』に出てくる語り手たちは、小川国夫というひとりの作家のなかに
生まれた素晴らしいミュージシャンで、彼らは小川国夫という音楽にのって、
これでもか! というほど躍動しています。
『弱い神』のような作品とは、世界の文学史を見わたしても、
そうそう出会えるものではないでしょう。
下窪俊哉

朗読イベント其の弐「海と鰻」等三篇

12月25日は映画上映後に、俳優の広田ゆうみさんに、朗読を行って頂きました。
朗読の題目は、小川国夫の処女作『アポロンの島』に収録された「海と鰻」・「夕日と草」・「遊歩道」という作品です。
三篇とも僅か数頁で切り取られた、小説ともスケッチとも言い難い作品。しかも三作品ともに描かれている風景や文体が異なり、連続して朗読するのはかなりの難易度を要したはず。
その難役を仰せつかったのが、本映画製作者の仲田恭子が「日本で三本の指に入る尊敬する俳優」という広田ゆうみさん。広田ゆうみさんは俳優として様々な場で活躍されていますが、「朗読」も積極的に取り組んでおられます。そのスタンスは明確。
「書かれた言葉を<自分>という管を通して発する」
広田さんの朗読は、言葉に余分な色を塗らない。喩えるなら、薄墨で描かれた水墨画に近い、そんな印象を受けました。だからこそ、ことばのとめはねに対する感覚が鋭く、リズミカルでありながらも叙景的に響きました。
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広田さんは作品ごとに姿勢を変え、声の響かせ方を調整されていました。なかでも印象深かったのは、真ん中に挟み込まれた「夕日と草」。この作品を読むとき広田さんはすくっと立ち上がり、映画館のなかに、やわらかな薄明を灯すような朗読を行って下さいました。映画館の天井に吊るされた金属のオブジェが、ふと共鳴したような瞬間がそこにはありました。
広田ゆうみさんは、2011年1月21日(金)22日(土)23日(日)に、別役実さんの作品「眠っちゃいけない子守歌」を演出し、そして自ら出演されます。
※詳しくは下記をご覧下さい。
http://konoshitayami.sensyuuraku.com/linksouko/betsuyaku.html
井川 拓

朗読イベント 其の壱「大きな恵み」

12月23日は映画上映後に、舞踏家・俳優の井澤佑治さんに、朗読を行って頂きました。
朗読の題目は、小川国夫の処女作『アポロンの島』に収録された「大きな恵み」という作品です。
井澤佑治さんは、元々本映画製作者仲田恭子が演出した舞台「逸民」で”鳥”の役をなされており、小川国夫作品に関心を持っておられました。(因みに「逸民」での役どころは”鳥”ですから、勿論台詞はなく、むごたらしく殺される役を演じられたそうです。)
そんなエピソードからも伺えるかもしれませんが、椅子に座ってマイクに向かうだけの佇まいから発せられる言葉にも強い身体性が迸っていました。
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朗読にとりたてて身振りが付されていたわけではありません。ただ作品に描かれた言葉を丹念に追う、それだけを佑治さんは実践されていたのだけかもしれません。
だからこそ、「大きな恵み」で描かれた闘牛という儀式の厳粛さ、人が生き物をあやめる時に直面せざるをえない”震え”を全身で受けとめ、それを声で表わし得たのではないでしょうか。
劇場が闘牛場と化した一瞬があったと感じたのは僕だけではないでしょう。
小川国夫のタイトルの付け方は、どれも直截的、即ち描いた対象そのものであると僕は思っています。思わせぶりな題はつけない。
「大きな恵み」も然り。今日の佑治さんの朗読を聴いて改めてそう感じました。
肉声を通して、小川国夫作品の直截性を体感した貴重な機会となりました。
※朗読イベントは、12月25日、26日にも実施されます。
ご期待下さい。
井川 拓

名古屋上映!24日と25日!

24、25日、名古屋シネマテークで上映です!
長年、行われている「自主制作映画フェスティバル」!
これは一体何か?!について、名古屋シネマテークさんのHPから引用させていただきます。
巨額の予算をかけて、美しい男女を集め、長い時間の準備や撮影と、プロフェッショナルなスタッフが持てる技術を発揮して製作されるものが、より良い評価を得られるのは、たぶん道理だと思います。誰もが面白いという映画、誰もが美しいという映画。それはそれで、もちろん素晴らしいことだと思います。けれど、そこに至る過程で、まだまだ不足な要素を不足なままに抱えながら、かろうじて作品として逆立ちしているような微妙なバランスの映画、それもまた、微妙なバランスであるが故に(そしてまた、時にバランスを失っているが故に)見られるべき映画として、そこにあるのだと思います。当館の年末恒例企画『第24回自主制作映画フェスティバル』、3日間の上映です。評価の定まっていないという意味では、最も先鋭的な作品ばかりを集めた特集上映です。来るべき映画、これからの映画ばかりがここにあります。あらゆる企画の中で、もっとも名古屋シネマテークらしい企画と言えるかもしれません。
名古屋方面のみなさま、ぜひぜひ、この機会に、ご鑑賞いただけたら幸いです!
どうぞよろしくおねがいいたします!
また、この映画祭ならではの、面白い企画、「何でも持って来い!」というものがあります。
これはその名の通り、何でも持って来い!というもの。
公募の「何でも持って来い!」のスケジュールはこちら! 今年は、深夜2時を軽く越えるスケジュール。クリストファー・ノーランやジャン=リュック・ゴダールがいる場所が、映画の最前線であるように、これもまた、別の最前線なのだと思います。
“デスクトップで編集され、モニターの中で完成された作品をスクリーンに解放しよう!”という試み。
ぜひ、この映画祭をご堪能ください!

小川国夫生誕祭と朗読イベント!

さて、一つ前の日記にもありますが、昨夜はシネ・ヌーヴォで、上映開始と共に、上映後「小川国夫生誕祭」が行われました。
映画「デルタ 小川国夫原作オムニバス」の上映に加え、作家の土居豊さん司会のもと、装丁家であり画家・作家である司修さんとデルタ企画者仲田恭子でトークを行ってまいりました!
司修さんのお話は本当に面白く、ご来場の皆様も大変楽しんでくださった様子でした。
詳しいレポートは、後日、ご報告させていただきます!
実現にご尽力くださった関係者各位に心より御礼申し上げます。
司会を務めてくださった作家の土居豊さんがブログを書いてくださいました。是非ご覧ください!
http://blogs.yahoo.co.jp/akiraurazumi/61890782.html
昨日は、公開初日に加え、土居さん、司さんという豪華な登壇者のおかげで、熱心な読者の方から、様々な方々が、雨の中、足を運んでくださいました。ご来場のみなさま、誠にありがとうございました!
そしてシネ・ヌーヴォという映画館、とっても素敵なところです。映像もとても綺麗に映っています。
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ロビーには、作家の土居豊さん、作家で映画と小川国夫副読本を、この映画のために作ってくれた下窪俊哉さん、関西上映中心人物の井川さんにより、小川国夫書籍販売や、シネヌーヴォさんで用意してくれた大きな額に、本の装丁や作家の直筆など、色んな小川資料の展示が手作りで飾られています。 こちらも是非お楽しみください。
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そして、明日からは、とびとびで朗読イベントを行います!
12/23の上映後は、ダンサーの井澤佑治さん!
彼は、小川国夫原作の舞台「逸民」(仲田演出)で、鳥の役を演じてくれた人。
へうげ者の佑治さんのぐにゃりな部分と硬質な部分が存分に発揮されつつ、音としてとっても新鮮な朗読になると想像します。きっと小川文学との距離が、妙な具合にぐぐっと縮まる、そんな気がします。乞うご期待!
12/25は、京都の広田ゆうみさん。
私(仲田)がリスペクトする女優ベスト3のうちの一人です。昨日も来てくださったんですが、トーク終了後、わらわらと皆外に出るやいなや、速攻で、誰もいなくなった客席で一人、声出しチェックしてました。さっ、さすが!
12/26は、劇団 舞台処女(まちかどおとめ)の劇作家・演出家の断寝俊太郎さん。
破天荒さと堅実さ、二つの顔を併せ持つ、パワーに満ちた演劇人!
映画上映のみならず、お得な3デイズになっております。
鑑賞予定のみなさま、お日にち選びの参考にしていただけたら嬉しいです。
鑑賞予定ではないみなさま、ぜひぜひ観に来てください!
小川国夫さんと深い関わりがあった方々によって、すべてが一から手作りの関西上映。またとない機会です。
広く皆様にこの映画が届くことを祈っております。

仲田恭子

いよいよ本日から!

日頃から応援いただいている皆様、本当にありがとうございます!
いよいよ本日、映画『デルタ 小川国夫原作オムニバス』
大阪シネ・ヌーヴォにて公開になります!
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初日の本日は、上映後、小川国夫との“共演”も多い
画家・作家の司修さんをゲストに、本映画プロデューサーで
舞台演出家・仲田恭子とのトークセッションを開催!
司会は関西在住の作家・土居豊さんにお願いしています。
いったいどんなお話が繰り広げられるのでしょうか??
皆様、お誘いあわせのうえ、ご来場いただければ幸いです。
天気予報によると、大阪は午後から雨模様とのこと。
お気をつけてお越しください。
では、映画館でお会いしましょう!
シネ・ヌーヴォ公式サイト
http://www.cinenouveau.com/
下窪俊哉

『蕪村へのタイムトンネル』

12月21日(火)大阪シネ・ヌーヴォでの上映初日、『小川国夫生誕祭』の特別ゲスト司修さんの作品を少し紹介します。
本日紹介するのは、今年発刊された司さんの新作『蕪村へのタイムトンネル』(朝日新聞社)です。
この小説は、2008年4月から2009年8月までの1年4か月の期間、静岡新聞に連載されました。
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この小説の大きな特徴は、章ごとに与謝野蕪村の俳句(一部は蕪村以外の人物の俳句)が付され、その後に文章が書かれていることにあります。蕪村の俳句と司 修さんの文章は絶妙に絡み合い、読者は俳句と文章(小説)のあいだを行き来して読み進むことになります。時に引き返して文章を読み直したり、句を口ずさんだり、ちょっと得難い読書体験となること請け合いの一冊です。
映画の看板描きとして働く十七歳の「僕」の語り口は、人懐っこく親しみやすいのですが、この小説は所謂青春の回顧談には留まっていません。作家が何十年にも渡って取り組んできた戦争、暴力、搾取といったテーマに向き合っていることが全編を通じて伝わってきます。かといって「重厚」という言葉を付するのも適切ではないでしょう。蕪村と「僕」を隔てる三百年にも及ぶ時空の溝をひょいっと一跨ぎするような「軽み」に貫かれているのが、本書の魅力の一つではないでしょうか。
『蕪村へのタイムトンネル』には、悪友(?)小川国夫も登場します。エキストラという感じではなく、タイムトンネルへと導く水先案内人として、小川国夫(作品)が出てくるのです。
悪友とは、そのひと自身が悪いのではなく、友人に悪い影響を与えてしまう人物だとすれば、まさに司さんにとって、小川国夫は悪友だったのだと思わずにいられない、闇のあたたかみを伝える文章がここにはあります。司さんの純粋な感受性こそが、与謝野蕪村という歴史的人物の作品をいきいきと描かしめたと思うのです。
年末から年明けにかけて、長編小説をお探しなら、『蕪村へのタイムトンネル』をおススメします。ぜひご一読を!
※『小川国夫生誕祭』は、メールでの予約も承っております。詳しくは下記を参照下さい!
http://www.cinenouveau.com/
井川 拓