小川国夫」カテゴリーアーカイブ

「駅の明り」に照らされて

昨夜のアップリンクX、金子雅和短篇映画集『辺境幻想』
お越しくださった皆様、ありがとうございました!
「誘惑として、」とのカップリング、残念なことに私は行くことができなかったのですが、
最新映写機の導入で更に精度を増した“映像美の共演”になったとか?
聞いたところによると、映画「ハシッシ・ギャング」の小沢監督に、
小川国夫の本を最初に紹介したのは金子監督だったとのこと。
金子監督には、7月に開催した映画『デルタ』関連イベントでも
映画への想い、小川文学への想いを存分に語っていただきました。
『辺境幻想』、12/3まで公開予定なので、ぜひご注目ください!
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さて、映画『デルタ 小川国夫原作オムニバス』原作紹介その4。
「誘惑として、」では、『マグレブ、誘惑として』から「薬(ヤク)の仲間」と、
もうひとつ別の小説を“メドレー仕立て”のようにしています。
そのもうひとつの小説とは、1990年10月刊行の短篇集『跳躍台』(文藝春秋)
に収録されている「駅の明り」という短篇。
もともとは雑誌『群像』1986年10月号に発表されていたもので、
ある夜、何気なく触れ合い、交わった男女のエピソードが、
小川国夫らしい切れ味抜群! の文章で表現されています。
作者自身の自作解説によると、この作品は
「まともな学生でもあり得ず、遊び人でもあり得ず、まして地道な働き手でも到底なくて、
 戦後の、電灯のまばらな暗い道をあてどなくさまよっていた青年の苦い記録」
だそうです。
私の記憶では、この「駅の明り」は、同じ短篇集『跳躍台』収録の「天の本国」と
つながった同じ作品として書かれて、結果的に別々の短篇としてまとめられたと、
小川さんが話していたのを覚えています。
その「天の本国」は、講談社文芸文庫の『戦後短篇小説再発見(16)「私」という迷宮
に収録されていて、現在でも入手可能と思われます。
下窪俊哉

『マグレブ、誘惑として』から(2)

小川国夫は、旅に生きた作家でもありました。
『マグレブ、誘惑として』の作家は、
“言葉”を探すため、北アフリカ・マグレブを旅します。
旅に明け暮れた若き日を思い出したとき、マグレブ諸国は
作家にとってもっとも魅惑の多い場所だったようです。
心臓に病を抱える彼にとって、命がけの旅だったというふうにも書いてあります。
その旅で、彼はマグレブに住み着いたある日本人と出会います。
彼は一度、自殺をしようと決意してその地へ来ますが、
砂漠に降り注ぐ星空に惹きこまれて、「捉え」「ゆさぶられ」
「自然と呼応する」ように生かされたと作家に話します。
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静岡新聞社制作によるDVD『故郷を見よ 小川国夫の文学世界
の映像のなかで小川さんは、「自然のなかに展開する人間のドラマというものに
たいへん興味があって、…文学は風土を書くというものというふうに
見直されてくるんじゃないかという気がします。なぜかっていうと、
人間っていうのは大自然のなかに生きている生き物なんです」と語っています。
人の考えられる力を超越した自然の力を、見つめつづけていました。
※本日11/21(日)、渋谷アップリンクXで上映中の
 金子雅和短編映画集『辺境幻想
 にて「誘惑として、」短篇バージョンがゲスト上映されます。
 ぜひご注目ください!

下窪俊哉

『マグレブ、誘惑として』から(1)

映画『デルタ 小川国夫原作オムニバス』原作紹介その3。
「誘惑として、」が原作としている作品はふたつありますが、
まずは、タイトル「誘惑として、」の由来にもなっている
『マグレブ、誘惑として』をご紹介しましょう。
小川国夫『マグレブ、誘惑として』は、雑誌『群像』に発表され
1991年9月号から1年間(12ヶ月)かけて連載された小説です。
(単行本は1995年1月に講談社から刊行)
映画『デルタ』で原作としてとり上げられている他の作品と違って、
これは長篇小説です。
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小川国夫の小説には、作者自ら《半自伝》と読んだ作品群がありますが、
(「自伝」ではなく「半」自伝なんて考えるところがユニーク!?)
小川さん自身を写したような人物には、「柚木浩」「岩原房雄」という
ふたりがいます。(「ふたつの名前があります」と言ったほうが良いかも?)
『マグレブ』に出てくるのは岩房さん。62歳になった彼は、
「書けなくなって」いて肉体の衰えを強く意識しています。
何とかそこから脱したい、と思っています。
映画「誘惑として、」に出てくる場面は、そんな岩房の前に現われた
「小説が書きたい」と言う老人(半田)との対話のセクションで、
「薬(ヤク)の仲間」と題された章です。
「薬の仲間」という題は、その老人が語る話からきています。
太平洋戦争中、兵隊となって満州にいたころ、脱走兵がふたり、出た
という話です。そのころ日本軍では麻薬が常習されていて、
彼らは幻聴をきいていた、実は自分も聞いていた、と。老人はそう話します。
※明日11/21(日)、渋谷アップリンクXで上映中の
 金子雅和短編映画集『辺境幻想
 にて「誘惑として、」短篇バージョンがゲスト上映されます。
 ぜひご注目ください!

下窪俊哉

「他界」をめぐるミステリー?

映画『デルタ 小川国夫原作オムニバス』の原作紹介、その2。
小川国夫の短篇小説「他界」は、1995年、雑誌『新潮』1月号に発表されて、
同年6月、小沢書店から刊行された短篇集『黙っているお袋』に収録されたものです。
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小川国夫には、本人の習慣(趣味?)でもあった“散歩”から
発想されて生み出された小説がたくさんありますが、これもそのひとつ。
失踪した老人を探して、藤枝周辺の町や山を彷徨い歩く男女数人の物語です。
が、この作品は老人の失踪をめぐる“ミステリー小説”にはなりません。
人がこの世から消えるとは、どういうことか? とか、
その人をこの世にひきとめておきたいと願う人の気持ちとは何か? とか、
そういった人の頭では考え切れないような事柄を
“散歩”の感覚から炙り出そうとしたように感じられます。
「他界」はいまのところ、上記の短篇集にしか収録されていませんが、
現在では入手困難。それどころか、小川国夫の本はその大半が絶版状態で、
古本屋か図書館で探すしかありません。
映画『デルタ』の原作となった小説も、「ハシッシ・ギャング」以外は全て、
新刊書店で入手することはできない状況です。
下窪俊哉

『星の王子さま』のこと

映画『デルタ 小川国夫原作オムニバス』のプロデューサー仲田恭子は、
これまで演出家として、数々の小川国夫作品を舞台化しています。
現在とりくんでいるのは、というと、小川作品ではなくて
サン=テグジュペリの『星の王子さま』だそうです。
題して「星の王子さまプロジェクト」!
これは、市民参加型のワークショップによってつくられる劇で、
参加資格は「あらゆる日常に生きる女性」。
場所は基本的に横浜で、週1回、創作のためのエクササイズを行い、
いろんなキーワードをもとにしてシーンを作成していくのだそうです。
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『星の王子さま』で、思い出した小川国夫の文章がありました。
小川さんが晩年に教鞭をとっていた大阪芸術大学文芸学科で、
出していた『河南(かなん)文学』という雑誌があります。
その第3号の編集後記で「リアリズムを越えるもの」と題して書かれている文章です。
そのとき小川さんは、ギイ・グラヴィス劇団の『星の王子さま』公演を観た
直後だったようです。『星の王子さま』の舞台はサハラ砂漠ですが、
サン=テグジュペリほどではないにしても、砂漠の魅惑を知っていた小川さんは、
不安な青春を送っていた自分を照らし出すものとして『星の王子さま』を捉えて、
「〈死〉が眼近に感じられるほど、あるがままに人間が見えてくる…。
 なぜなら生の中には例外なく死があるのだから…」と書いています。
そして、学生だった私たちに呼びかけるように、つづけています。
「若者たちはサンテ・エグジュペリの砂漠とは違う砂漠を、
 彼と同じようにさ迷っている。そして彼と同じように一人ぼっちだ。
 …鍵は、その孤立した姿のかたわらに、星の王子さまに相当する
 どのような幻影が現われているかだ。」
さて、映画『デルタ』には、どのような幻影が現われているでしょうか?
下窪俊哉

小川国夫の「ハシッシ・ギャング」

映画『デルタ 小川国夫原作オムニバス』は、「デルタ=三角州」という
タイトルの通り、3篇の短篇映画からなるオムニバスです。3篇とは、
「誘惑として、」(与那覇政之監督)
「他界」(高野貴子監督)
「ハシッシ・ギャング」(小沢和史監督)
で、以上のような順番で上映されているので、
いつもこの順番でご紹介しているのですが、たまには逆からいきましょう!
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原作である小川国夫の短篇小説「ハシッシ・ギャング」は、
もともとは雑誌『文学界』1996年1月号に「薬(ヤク)の細道」というタイトルで
発表されたあと、改稿&タイトルを変えて1998年8月に文藝春秋から
短篇集『ハシッシ・ギャング』の表題作として発表されたものです。
簡単に言うと、これは幻聴の話、幻聴を聞く人たちの話です。
幻聴を追いかけていると、語り手にある女の声が聞こえはじめて、彼は
「あ、これは恋だ」と思うのです。
でも、その女は幻聴の音のなかでしか現われません。
実は少し前に、自分のもとから去ってしまった女の声なのです。
もう、探す手だてはないようです。
彼はまた、墓場でハシッシを吸って幻聴と戯れて(?)いる“傾聴族”と仲良くなります。
(どうやら、ラジオのチューニングが合うように、
 その墓場では幻聴がよく聴こえるようなのです)
“傾聴族”のひとり(木南慈平)にそそのかされて、彼は女を探す旅に出ますが…。
短篇集『ハシッシ・ギャング』は、現在、絶版状態ですが、
2004年に発行された小川国夫自選短篇集『あじさしの洲・骨王』(講談社文芸文庫)
収録されているものが、現在でも入手可能です。
下窪俊哉

『アポロンの島』のデザイン

12/5(日)開催の映画『デルタ 小川国夫原作オムニバス』大阪公開プレイベント、
タイトルは、“shellsong~耳よ、貝のように歌え”
由来は、映画の原作者である小川国夫さんの処女作品集『アポロンの島』収録の
短編「貝の声」だそうです。
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この表紙は1978年発行の新潮文庫版。
これまで幾度となく再刊されてきた『アポロンの島』というこの本は、
もともとは1957年、私家版(自主制作)としてつくられた本です。
発行者は、同人雑誌『青銅時代』の仲間で、小川さんにとって一番の理解者だった
友人・丹羽正さんでした。
今年の春、東京都目黒区にある日本近代文学館で、その私家版『アポロンの島』を手にし、
閲覧する機会に恵まれましたが、控えめながら存在感のある装丁で、本文も読みやすくて、
何といえばいいでしょうか、全体に現代的なデザインを感じました。
現在は、講談社文芸文庫で入手可能です。
下窪俊哉

文学碑

小川国夫氏の文学碑が9/5、ついに着工開始になったようです烈
来春完成の予定とのこと。設置場所は藤枝市文学館前。
その日が待ち遠しいです。
ニュースはこちら
※建立の会では、現在、設置基金を募っておられます。ご興味ある方は上記のニュース内に記載されている連絡先へ、ご連絡ください

小川作品、三つの流れ

公式サイトにも少しだけ書かせて頂いてますが、今日は小川作品の三つの流れについて、ご紹介させて頂きます。
 小川作品には大まかに三筋の流れがあると言われています。
一つめは、聖書の世界を拡大したり、再解釈した物語。二つめは、郷里大井川流域を舞台にしたフィクションのドラマ。三つめは、実際の体験や交際、見聞に多少の潤色を加えた私小説風の作品です。この三筋の流れについては、『逸民』(新潮社から刊行・昭和61年)の後記で、作者自身も記しています。
参考:
聖書世界をモチーフにした作品
「或る聖書」(筑摩書房から刊行・昭和48年)
「血と幻」(小沢書店から刊行・昭和54年)
「王歌」(角川書店から刊行・昭和63年)など
故郷大井川流域を舞台にしたフィクションのドラマ
「生のさ中に」(審美社から刊行・昭和42年)
「試みの岸」(河出書房新社から刊行・昭和47年)
「彼の故郷」(講談社から刊行・昭和49年)
「悲しみの港」(朝日新聞社から刊行・平成6年)など
私小説風の作品
「海からの光」(南北社から刊行・昭和43年)
「逸民」(新潮社から刊行・昭和61年)など

その他、美術書や随筆集、対談集なども多数あります。
皆さんが初めてであった小川作品はどんな作品だったんでしょう令

愛用品、藤枝市に寄贈される

数日前の話ですが、8/26、藤枝市に小川国夫さんの愛用品寄贈のニュースがありました。
記事はこちら
 寄贈されたのは、自筆原稿や、ご使用だった机や椅子や硯(すずり)、フランス留学時代の愛用のセーターや旅行かばんなども獵原稿は、完成前の草稿も含まれているそうです。
藤枝市文学館では、今後、書斎の再現や、企画展なども行われていくとのこと。
これはすごい獵その機会が楽しみです。
そういえば五月の終わり、東京の駒場にある日本近代文学館で、「日本近代文学館 新収蔵資料展」が開催され、そこに、“小川国夫コレクション”の一部も展示されていました。その時も、硯や万年筆などが展示されていたように記憶します。
様々な作家たちの数ある展示物の中、綺麗に小宇宙を形成するように展示されていた“小川国夫コレクション”たちは、持ち主がいなくなったことを知らぬまま、なぜかここにいる・・・そろそろ仕事なんじゃないですか?、というような、そんな趣でした。勝手な想像ですが嶺
藤枝市文学館でも、物たちは新しい職場だが何か違う・・・と思いつつ、同僚の再来を、やや緊張した心持ちをキープしつつ待つ・・・
なんだか今日は、そういうイメージなんですが・・・まとまりませんでこのへんで玲